傅く、傅かせる。
改めてどんなイメージだろうか?
人によって想像する形態がかなり違う気がする。
相手に全権を与えて、全てを任せ、陶酔する傅き
強烈な反感を持ちながらも、力に屈する傅き
何故か分からないけれど、相手から目が離せず、受け入れてしまう傅き、、、。
傅きたい、傅かせたい、思いは人それぞれ。
そして自分に合う形も人それぞれなのだと思う。
全権を与え全てを任せて陶酔する場合は、
自身の判断力や思考がある意味停止し、見えるのは傅く相手のみ、聞こえるのは傅く相手の声のみとなる。
そして相手の力に導かれるまま行動する事によって、傅く相手と一体化したい、と願うのかもしれない。
私が妄想する傅け方はこんな感じだ。
知識や、社会的地位など関係なく、相手がいかに考え自分の意見を持っているか。
相手がいかに自分を表現できているか。
それができていない場合は真に傅けの対象とはなり得ない。
傅ける対象としての導き段階。
その段階をクリアした後には、いよいよ傅けを始める。
傅ける相手の強みを刺激し、弱みを更に刺激して掘り下げる。
この段階では、私自身もしっかりと自己を保ち、自身の力を最大限に引き出して行く。
、、、そして相手ととことん語り合う。語り合う方法は言葉や行動様々かもしれないが。
そして目標、いや使命を確認した後に、、、
目の奥に私の力に対する無条件の信頼がある事を確認しながら
膝を折り
私の手を取り
忠誠を誓わせる
傅ける素晴らしさ、深さ、、、。感無量