「そんな事まで知っておられるなんて凄い。本当に物知りなんですね。」
「あんな風に人前で話せたらいいな、と思います。」
「あのメンバーが相手で優勝するなんて本当に凄いですよ!」
内容に関わらず、言葉に出して相手を誉める事が出来るのは、以前も述べたように本当に素晴らしいと思う。
一方、言われた方はどうか。
結論を言ってしまえば
「基本なんの影響もない事が理想」
だと思う。
誉められるのはありがたい事だし、嬉しくもある。
でもやはり目指すのは”なんの影響もない事”だ
何故か
そこには「他人の評価に基づく自分があるから」だ
反対を考えてみる
「なんでこんな事も出来ないの、ダメねえ。」
「どうして人前できちんと話せない?」
「あれくらいの相手に勝てなくてどうするんだ!」
この評価に基づいて自分を判断してしまったら、自分の価値を甚だ低く感じるようにならないだろうか
出来るか出来ないか
勝ったか負けたか
そしてそれに対して自分がどう考えるか、は自身が判断する事だ。
出来るようになりたい、勝ちたいと思えば、努力すればいい
思わなかったらそれでいい
乱暴かも知れないが、自分で得た知識や嗜好、感覚的なものに素直になり、自身を評価していれば、それで良いのだと思う。
誉められようが貶されようが関係ない
そして同時に他人を認める
合わない場合も、共感できない場合もあって当然
その状態が自然
私が人を傅ける究極の目的は
その人自身に気付いてもらうこと
、、、もちろんそこまでの過程で、互いに合意できるなら、、、
場面設定
時間の用い方
そして手法はご希望のままに