命の背景

 

世の中の風習、伝統、歴史、、、

形を変えつつも継承され、残っていくものもあれば

何らかの理由で廃れ消えていくものもある

それらを遡っていけば、その伝統や習慣の背景が思いもよらぬ事だったりする。

 

仮にもし自分の存在が、現代人の常識では確実に法に抵触するであろう事から繋がっていたらどうだろうか?

 

 

数週間前に参加した集まりでの事

 

集まり自体は盛況裡に終わり、私が声をかけさせていただいた方々を含め、参加された多くの方々にとってとても有意義な時間となったことと思う。

 

私にとっては新たな手本ともいうべき出会いもあり、子供の真っ直ぐな力とそれを見守り愛情で繋がれた本来の家族像を見せていただいた。(こちらは後日改めて)

 

新たな傅けの方法も盗めた

 

 

そんな中、数人で話した際に昔の祭事における風習の話になり、実情や環境について聞くほどに、改めて知った事実に少しく驚いた。

 

その風習とは

生命が誕生するまでの行為における”完全男性優位”の風習

女性は男性の”従属物でしかない”とも取れる風習

 

 

その風習自体についてある程度の知識はあったが、それを自身への流れと捉えた途端、思考が二分化した。

 

自身の存在を強く肯定する気持ち

その存在が確定するまでにあった罪

 

自身が女性である事も相まって、想像した瞬間に我が事のように感じ身の毛がよだった

 

生命の神秘

私が私として「現在」存在している事の奇跡

人智では全くなし得ない技術で生かされている私達

 

法律は人間が生きていくために考え出したルールに過ぎず、生命のバトンはそんなことお構いなしに続くものなのか、いや続けるべきものなのか?

今はそれが逆転している(させられている)現状なのか?

 

 

 

私は真に人を傅けたいと思う

 

そして私が傅け、愛する人には、ある意味ルールなど気にせず、自信を持って選んだ道を進んで欲しい。

時にはそれだけのパワーで進まねばならない時もある

 

社会ルールとは何か

逸脱とは何か

そこにおける自我とは何か

 

 

一つを除いてどうもあたりの悪いアルコールと共に、想像しない角度からの問題提起に直面したひと時だった

 

そこに

傅ける妙味を見出せるか

新境地を開く起爆剤となり得るか

実験である

 

新たな問題提起に感謝しつつ、更なる問題提起も強く期待したい

 

 

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