私の人生で最大のサポーターであり、一番喧嘩した人物
馬鹿が何個もつくほど真っ正直で要領が悪く、単純ですぐカッとなる人物
同時に、とても人思いで優しく、人の役に立つ事を自分を犠牲にしてでも成し遂げる人物
母から聞いた話である。
「お前と結婚できなかったら俺は死ぬ。一緒になってくれ。」
人によってはドン引きし、しかも脅迫罪が成立しそうな言葉で求婚された母は、家族の大反対を押し切って父と結婚した。
母は、この話をする時、なんだかんだでいつも嬉しそうなので、やはり2人には良い思い出なのだろう。
父「お前が男だったら、と思った時もある」
学歴も低く若い時から働いていた父は、きちんとした習い事の経験がない。
その分私に期待をかけており、市の空手大会で私が初級部門で3位になった際は、心から誇らしそうだった。
涙脆い一面もあり、母が代表でアナウンスをする事になった時、私の大学入学時など、折に触れ男泣きしていた姿を思い出す。
何度も衝突し、心底腹が立ち、呪ったことすらあるが、父は常に私に真正面から接してくれた。
本当に愛してくれていたと思う。
人の役に立つ事が心から嬉しく、リタイア後は、公民館活動などにも積極的に参加し、終いにはパソコン教室の先生もどきまでしていた。(その裏での私の苦労は想像にお任せする。)
晩年は一眼レフにも挑戦し、セミプロの方に交じって楽しそうに学んでいた。
そして今でも驚きを持って振り返る事に、父の葬儀の際は、それなりの広さの葬祭会館が満席になり、座れない方も出てくるほどだった事。
姉は知人から
「誰か地元の有力者の方の葬儀かと思った」
と言われたらしい。
今にして思えば、私には傅けやすいタイプの父だが、同時にその熱意や押しの強さに呑み込まれそうになる面もある。
昨日は父の命日だった。
最後に交わした会話が思い返される
父の娘で本当に良かったと伝えたい