真の強さ

 

久しぶりに会った友人から刺激を得た

 

たまには与えられる刺激もイイ

 

そして、当然とは言え、自分の周りにこれだけの強さを持った人間がいてくれる事に心から感謝した

 

 

「自分を含めてこれだけの能力のある人間が、それを発揮できないのはおかしいと思うんです」

 

この発言

 

私が野望を達成する過程では、皆がそれぞれの能力を大いに発揮している事は必然

 

そして潜在的な能力を多くの人が持っていることも事実

彼女の発言に大いに頷くと共に次の考えも浮かんだ

 

「でもそれって与えられるものだろうか?」

 

 

望まれれば多くの方法を用いて、感情のエスカレーターを体験させ、今までにない刺激を与える準備はある

 

私も全身で臨む覚悟

 

ただ、自身の能力を発揮するのは既存の場、既存の対象の範囲だろうか。

 

ひょっとして

実は簡単に入れるが、なぜか誰もが踏み入れない領域

ほんの些細な逆発想

ごく身近な環境故に見えていないもの

もしくは自分自身

 

と、発掘の場が見えていないだけかもしれない

 

 

自身も例外ではない

 

私に心底傅けられたがっている人間がまだ見えていない可能性大

とすれば、対象範囲は大いに広がる

 

また傅けられる方法や強さの度合い

その過程に至るプロセス

方法を用いる場所や環境

 

取り入れる空想、妄想、真の望み

特に刺激して欲しい箇所

好む言葉やタイミング、、、

 

列挙して気付いたのは、物理的な差異はあれど、

 

ある意味「目合ひと紙一重」ということか

 

大いに腕がなる。更に対象者は増える、か?

 

その後の環境次第でもある

伝えられないなどと悩んでいる場合ではない

 

 

改めてこの考えに至るきっかけとなった発言

 

ともすれば自身の価値を低く見がちな中、根底にこの考えを持っているとは

やはり私の友人

別の角度で腕がなり、同時に彼女の生き生きとした未来が見えた

 

恐らく何かやらかしてくれるはず

大いに期待したい

 

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