なんとなく周囲の考えが想像でき
なんとなく周囲の行動が推測できる環境から
周りは自分を全く知らないだけでなく
考え方や物の見方が全く違う、ある意味想定すらできない環境下に置かれたら
あなたはどうだろうか?
周りが自分と似通った思考、似通った行動をする環境は楽だ。
また場合によっては、行動の是非はともかく、それが集団としての力を増すことになるかもしれない。
だが、似通った思考や行動をする事が暗に求められる場合には、個人としての自由度は極端に下がり、その環境下にある時間が長ければ長いほど、歪みは増す
全体の一部として過ごすのか
自由を求めて環境下から抜け出すのか
選択は自由である
但し、選択肢があると分かっている場合においてのみだが。
最近、私への傅き度合いが徐々に増してきた紳士の男がふと口にした言葉
「実は従兄弟がNYで脚本家をやっていて、、、」
やはりまださらけ出しきれていなかったようだ。
道具を選定し直し、別のシチュエーションを考えねば
(参考:真の責任とは https://kashizuki.net/?p=187 )
それはともかく
彼の従兄弟が立ち上げておられる団体
https://m.facebook.com/derrrrruq/
より”自分らしさを受け止めてくれる”と、NYでの活動を開始した3人が立ち上げられたもので、前回制作されたドラマはこちら
現在はクラウドファンディングでの資金調達が完了し、次回作の編集作業真っ只中との事
次回作(クラウドファンディングページより)
https://www.kickstarter.com/projects/523483385/japan-america-drama-series-hodobuzz?lang=ja
前作を観させていただいたが、様々な意味でのマイノリティー、現代社会が抱える問題、文化の捉え方、捉えられ方等をベースに、あくまでもコミカルに、そして軽快に話が展開していく
私にとっては、つい熱が入って観てしまうシーンもあったが(でも受けるよりはやはり、ね)
本作に関しては、主演の2人にとってより身近な題材を扱っておられる気がしたが、中には
”敢えて堂々と言い切った”
発言や表現もあり、製作者の強いメッセージを感じる
彼らを傅ける過程でも、多くの個性的な考えや感覚を出してくれるに違いない
美男美女故、更に腕がなる
十数年前初めて単身NYを訪れた際、出発からハプニングの連続だったが、”日本以外の国を知る”とても良い機会となった事を思い出す
ともすれば自身にそのまま返ってくる事に繋がるが、ラガーディア空港に降り立った瞬間から、“多様な価値観の中に身を置く”事の開放感を強く感じた
日本人専用のドミトリーで出会った方々も感覚が似ており、ひょっとしたら現実のタイチやマリコに出会っていたかもしれない
このタイミングでの彼らとの出会いは、世界を見据えた野望への熱意を自身再確認することとなった
次回2番街を訪れる日には、更なる個性に裏打ちされた技術を持って臨まねばなるまい