好きなドラマを除いて普段はほとんどテレビを見ないのであるが、今日たまたま見ていた番組に感じた違和感が消えず、、、
始めは何に引っかかっているのか分からなかった。
とある、子供向け、というよりは家族向けのアニメ番組を見た。
主人公を含めて周りの友人達が「自分の個性とは何か?」を自身プレゼンする内容だったのだが、
〇〇が好き
△△が得意
等々出る中、ある子の個性が「卑怯」と周りに認められており、それをプレゼンするか否か、という風に話が展開した。
はて?個性が卑怯?んんん?
初っ端からもの凄い違和感。
そもそも一つの番組を長く続けるという事は、本当に大変な事だ。
続けられる環境を維持し、視聴者を繋ぎとめておくことは生半可なものではない。そこに携わっておられる方々の労力も並大抵ではないだろう。
しかも数百回以上の放送回数であれば、作品の出来不出来、時代背景に合うか否かなどあって当たり前。
全ての番組が人生の手本たるべき、などとも毛頭考えていない。
まあ、こうして好き勝手なことを言い放っているので、ここでも好き勝手に感じた事を書いてみる。
個性が卑怯と出た時に感じた違和感は、次第に
それで?だから何?
に変わっていった。
自分の子ども時代を振り返っても、身勝手、残酷さ、むき出しのライバル心など当たり前にあったし、誰かが公然と「お前は卑怯だ、汚い!」という場面もあった。
でもなんか違う。
例えば、
「僕の個性は卑怯だ。でも自分はそれが嫌で変えたいと思っている。」
とか
「僕の個性は卑怯だ。でも卑怯な自分は正直だと思う。」
とか
「僕の個性は卑怯だ。でもそれで世の中上手く渡っていくんだ!文句あるか!」
とか、何か続くんじゃないかなあ、と思ってやっと気付いた。
私が感じた違和感の正体は、
感情のなさ、思考のなさ、だったのだ。
私が思うに、小学校低学年頃(いやもっと前からか?)には、子供の思考力は相当なものであり、素直に表現する力もある。
だからこの登場人物の彼も、表に出すか出さないかは別として、きっと何かしら自分の意見があるはずだ。
そこが表現されずに、主人公を含めて、彼が自分の個性を卑怯と認めて表に出していく過程を賞賛していた。
あくまでもフィクション
と捉えて、そのまま受け止めればいい話かもしれないが。
だが、仮にこの登場人物の彼ような男が増えるとすれば、私の楽しみが半減するではないか!
いや、鍛え甲斐があるというものか?
でも、正直出来るだけ本当の傅けだけに専念したい、、、