何の疑いもなく足の力を緩めた瞬間、まったく予想していなかった事態が起こった
次の瞬間、ここ数年来ない程の直接的な恐怖感を覚え、同時に想定し得る様々な状況が頭をよぎった。
まずい、、、もうダメか、、、
数日前に家の住居部分及び付属設備の一部改修を行い、その際に出た廃材等を業者引き取りではなく持ち込みとし、今日その作業を行った。
行政が運営する処分場は家から十数分のところにあるが、本年最後の週末持ち込み可能日の為、朝早い時間で既に数台の列ができていた。
係員の指示に従い書類を記入して実際の運搬口まで進むのだが、その運搬口はマートなどに併設されている立体駐車場の入り口と非常に似通っており、その勾配たるや恐らく15%はくだらないと思われる。
運転免許自体はマニュアル車も可能ではあるが、実質ウン十年運転から遠ざかっていることもあり、例の”坂道発進”なるものは記憶のかなた、いや体感覚のかなたに追いやられている。
そこへ持ってきて、この勾配を列をなしながら進まねばならない。
今にして思えば予兆はあったのだが、、、。

”おお、ようやく進み始めたな。さて、では、、、
ん?
うお?
ひえー!”
ほんの一瞬の出来事ではあったが、右足をブレーキから離した瞬間
ふわっ、というか、ぐにゃっというか、ぬめっというか、、、とにかくそのような感覚を伴ってタイヤの1/5から1/4ほど車体が後ろに下がったのである
その後10数メートル先の搬入口が遥か彼方に見えつつ、バックミラー越しに後ろの運転席の方に「私が下がってしまう可能性」を切にアピールしつつ、どうにかこうにかたどり着き、搬入を終え、精算窓口で助っ人に駆り出されていた友人の父親とあいさつを交わした時には、何かしら大きな事を成し遂げた後の爽快感さえあった。
まさかこのような出来事が起ころうとは。
傅けなければならないものは、他にもあったという事か
世の中の全ての人間を傅けるために、日々それに足る力を得るために努力しているが、時として本来の目的から離れ不要な想像をしてしまう時がある。
そして本来そこにあるはずのない危惧や懸念を”自ら作り”出し、前進することなく、自らに甘んじてしまう。
以前よりはその傾向が格段に減ったとはいえ、正直まだ完全ではない。
だが、今回の一件を通して、本当に対処すべき恐怖感とはどういったものであるかということと、今の自分はそれに適切に対処できること(もちろんかなり焦ったし、後ろの方にはそれ以上に不安を与えたとは思うが)、同時に、見方を変えればいかに不要な恐怖感を持ってしまい身動きが取れない時があるか、を身をもって再確認できた。
そして、くしくも今日は自身がこの世に生を受けた日でもある
今日という日に、精神的にも体感覚的にも大きな刺激を得たことは、今後の人生においての大きな指針であり、また数ある成功の内の一つである。

私との出会いやその後の真に刺激的な時間を待ち焦がれる方々の為、そして何より自分自身の為に
様々なシチュエーションを想定し
それに見合った感覚と技術を更に鍛え上げねばならない