記憶の中に



多角的な見方はあれど、結果有限であると言えるものがある


それはすべての人々にとって同じであり、人はそこに向かっていく


向かった末に何が残せるのか、何が成し遂げられるのか


あまりに突然の出来事に際し、改めて自身考える



今回書こうかどうしようかとても迷った


何故ならどう書いても納得のいく文章にならない気がしたからだ


またあまりに直接的な表現を用いるのは自身好まないし、このページの目指すところでもない


だが、今回の出来事が起きたタイミング、また自身に示されているものがあまりにも強く、恣意性はあれど今の自分に何ができるかを考えながら書こうと思う



先週末、職場の上司がこの世に別れを告げた


自分の姉とほぼ同い年の上司


1年程前に体調不良を理由に休みを取られ始め、途中復帰の話もありながら、先月末を持って部署移動された矢先だった


今にして思えばある程度の類推もありえたかと思うが、もともと快活で行動的な上司であったことと、自身になんらかのバイアスがかかっていたためか、連絡を受けた時にはあまりに突然の事でにわかには信じられなかった





人には有限のものがある


そしてそれを踏まえて進んでいく


でも果たしてどれだけの人がその有限さを意識して過ごしているだろうか


自身はこの有限さを意識して生きることを学び、つい先日も仲間と残された時間についてやりとりしたばかりだ


だがその彼にしても、意識こそすれどれだけ臨場感を持ってそれを捉えているかは自信を持って言えるレベルではないと思う




もちろん私も同じだ


だが、今回の出来事は「正にそれを自身に問え」と示されているようでならない


更に言えば、自身のみならず誰もがそれを意識して過ごせるような環境を目指せ、と示されているようにも思う



有限であることへの悲観ではなく



有限であるゆえに可能性を開花させていく事を念頭に置いて



上司は多趣味で海外経験も多く、誰もが認める行動派だった



その精神を見習い、常に行動することの大切さをこれまで以上に意識して進む




心からご冥福をお祈りしつつ



















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