言葉は不自由だ、思っている事の半分も伝わらない
言葉で私を縛り付けないで欲しい
あなたがやれと言ったからやった
、、、全ては自分であり、自分は全てである
ある勧めで下記の作品を見た。
「地球少女 アルジュナ」
https://v-storage.bandaivisual.co.jp/sp-site/earth-maiden-arjuna/
調べてみると、ヒンドゥー教の聖典の一つである”バガヴァッド・ギーター”に着想があるらしいのだが、作品は個人的に素晴らしいと感じた。
20年近く前の作品であるが、人や地球を取り巻く問題について、ある視点から提言がなされている。
また、以前知人から勧められた作曲家が音楽全般を手がけており、この作品においてもその世界観を見事に表していた。
取り上げられている内容の詳細についてはここで触れないが、様々な課題が示される中にあって、私自身が強く感じたのは
自身と自身以外の繋がりをどう捉えるのか、そしてどう生きていくのか
だった。
これは野望実現とも密接に関わるところ
そして自身がまだまだ学ばなければならないところ
初頭に書いた文章や考え方は作品で示されたものだが、本当に深い
以前も書いたように他人からの評価は、その内容に関わらず自分自身の評価には無関係である事が理想だ。
私が真に傅ける場合の目標でもある
考えや行動が見知った知識によるかどうかではなく、
自身が真に能動的に判断し行動しているのか
他人の指示や期待される事に沿うだけになっていないか
にこそ意味がある。
私の捉え方では、この作品において造り手が本当に表現したかった事ではないかと思う。
不自由な言葉で縛り付けられる事からの脱却
そして主人公を導く存在との関わりと最終的な気付き
多くの場合、人は利己的に言葉を使う
喜び、嬉しさ、そして想いを伝え
駆け引きにでたり
時として自身でも驚くほどの怒りを表す
、、、そして真意は半分も伝わらない
言葉ではないコミュニケーション
再度この言葉を考える時、作品の最後に示される哲学が自身の矮小さと共に、深い意味を持って突きつけられる
強くお勧めしたい作品だ